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ブギの女王・笠置シヅ子の波乱万丈な人生

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養母と弟を失った『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子。仕送り増額のために移籍オファーを受けたら大騒動に…シヅ子に相談された服部良一が見せた「覚悟」とは(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース

NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の主人公のモデルとなった昭和の大スター・笠置シヅ子の人生を紹介します。彼女は歌が大好きな風呂屋の少女から、ブギウギの女王として一世を風靡するまでに、どんな苦労や葛藤を乗り越えたのでしょうか。娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さんの話をもとに、笠置シヅ子の波乱万丈な人生を振り返ります。

  • 引き抜き騒動: 笠置シヅ子は1940年に松竹楽劇団(SGD)の人気スターとして活躍していましたが、東宝からの移籍オファーに乗ってしまいました。給料は300円という破格の条件で、養家への仕送りを増やしたいという思いもあったでしょう。しかし、これがSGD東宝の間で大騒動を引き起こし、笠置シヅ子は一時期、どちらの舞台にも出られなくなりました。最終的には、松竹の社長・大谷竹次郎の説得でSGDに復帰しましたが、その後も東宝との関係は続きました。
  • 母の死と戦争: 笠置シヅ子は養母・うめの看病のために、しばしば舞台を休んでいました。しかし、1941年にうめは亡くなりました。その直後には、弟・八郎が中国戦線へ出征し、翌年に戦死しました。笠置シヅ子は、母の最期の望みであった「歌手になってほしい」という言葉を胸に、戦時下の日本で歌い続けました。彼女は軍歌も歌いましたが、わずか2曲だけでした。彼女の得意とするブギウギは、戦争の影響で禁止されることもありましたが、彼女はそれを乗り越えて人々の心を癒しました。
  • 飛鳥明子との友情: 笠置シヅ子は、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)時代からの親友である飛鳥明子と、一緒にSGDに入りました。飛鳥明子は、笠置シヅ子にとって「神様」のような存在でした。彼女は、笠置シヅ子とともに、待遇改善のために高野山へ立てこもったこともありました。飛鳥明子は、笠置シヅ子よりも先に映画界に進出し、伝説のプリマドンナとなりましたが、1954年に29歳で急死しました。笠置シヅ子は、彼女の死に深く悲しみましたが、彼女の遺志を継いで歌い続けました。
  • ドラマ『ブギウギ』と娘・趣里: NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』は、笠置シヅ子の人生をモデルにした物語です。主人公の笠置あやめは、歌が苦手だった趣里さんが演じています。趣里さんは、水谷豊さんと松田美智子さんの娘で、笠置シヅ子の大ファンでした。彼女は、亡くなった恩師である笠置シヅ子の声楽教師・鈴木優子さんにも見ていてほしいと語っています。ドラマでは、笠置シヅ子の歌声や映像も多く使われており、彼女の魅力を再び伝えています。

以上が、ブギの女王・笠置シヅ子の波乱万丈な人生の要約です。彼女は、戦争や病気、死別などの困難にもめげずに、歌を愛し、歌で人々を魅了しました。彼女の歌声は、今も私たちの心に響いています。